共有する
土砂災害防災のフィールド一般の方々に、土砂災害とその対策について理解していただくこと、またその理解を通じて防災意識を醸成・維持していただくことは、簡単なことではありません。私たちが砂防の広報に携わって30年以上、これまでに培った経験と知識を多面的に活かし、様々な活動の支援や資機材の提供を行います。
砂防フィールド
コミュニティ
スタッフの取材記録などを交えつつ、土砂災害を克服してきた各地の活動紹介や情報提供を行っております。
この場を通じて新しい発見や様々な交流が生まれることができれば幸いです。
◇テーマ
漸に杜ぎ、茫に防ぐ(ぜんにふさぎ、ぼうにふせぐ)~30年前の警告は「未来への備え」~
※漸に杜ぎ、茫に防ぐとは、「危険なことに対しては常に注意をはらい、その兆しがあれば速やかに手当をすべし」という中国の故事です。
梅雨末期の集中豪雨により、島根県全域で1,067件の土砂災害が発生し、被害の大きかった県西部の浜田市、益田市、三隅町では、87名もの尊い人命や多くの財産が失われ、土砂災害に対する意識が一気に高まる契機ともなった昭和58年の「山陰豪雨災害」から30年が経過したことを踏まえ、2回目の開催となる土砂災害防止【全国の集い】が平成25年6月5日(水)・6日(木)の2日間、島根県内をはじめ全国より750名の参加を得て、島根県松江市及びその周辺地区で開催されました。
1.開会式典 <6月5日(水)>
1)主催者挨拶
佐藤 直良 国土交通事務次官(太田 昭宏 国土交通大臣の代理)
2)開催地挨拶
松浦 芳彦 副市長(松浦 正敬 松江市長の代理)
2.基調講演 <6月5日(水)>
◇テーマ 土砂災害に対する地域の防災力の育成
瀧本 浩一 氏(山口大学大学院理工学研究科 准教授)
全国各地で自主防災組織などを対象に地域防災力の向上に取り組んでこられた瀧本准教授による基調講演は、安政地震で発生した土砂ダムを示した絵図を示し、先人が災害の教訓など後世に伝えるべきものを記録として残してきたことに言及、果たして、これらを現代社会では活かしているのであろうか?という問題提起から始まりました。
現在、取り組まれている防災力向上活動の大半は、「災害の仕組み」、「何か起きた対処方法」のみを教えている現状を指摘。自然災害を普段は目に見えない存在=“幽霊”に例え、見えない幽霊を“どこに”“いつ”出るのか(発生するのか)を想定すること、すなわち災害発生前の準備の重要性に言及されました。
また、土砂災害・水害と地震災害の差異を示し、土砂災害を事前の準備によって被害を回避可能な災害と定義し、土砂災害に対する事前の準備として“どこに”を示すハザードマップの活用、また、“いつ”を知るため国や都道府県の発信する各種情報の活用を挙げ、災害発生時の対応を中心に行われている防災訓練等より、むしろ、これら事前の準備に必要な情報やそれらの入手方法(例えば、全国の市町村で開催されているパソコン教室などにおいて、生活上必要な情報として、これらの防災情報の入手方法を教えてゆくなど)に関する啓発が必要であることを強調されました。
さらに、土砂災害など地域でまだ発生していない事象について、地域の人々に頑張りなさい(=備えなさい)と言っても、行動に結びつけることは無理としたうえで、地域の人々の関心を高めるための手法として、地図を活用した図上訓練(検討)とその後の現地検証について、実践された事例などを映像を交えてその効果を示されました。
地図を見て、避難場所や土砂災害警戒区域などを自分の手で書き込み、塗りつぶし、避難ルートなどについて検討することによって災害の外力を住民は初めて受容し、能動的な活動に変化してゆくこと、さらには、現地を検証することによって、過去の土砂災害に関する経験や言い伝えなどが、地域の方々から提供されるようになることなど、実践経験から得られた様々な現象やノウハウが紹介されました。
東日本大震災以降、防災上のキーワードとなっている「防災教育」については、ギリシャ語で教育を示す2つの言葉“フォルマティオ(仕込む)”と“エデュカティオ(引き出す)を紹介されたうえで、防災も、この仕込み(=防災知識を教え込み、体得させること)と引き出し(ワークショップなどを通じ、考えさせること)の段階を踏むべきであると指摘されました。
最後に、全国の中山間地でも課題となっている地域力の低下に伴う、防災力の甚だしい低下を踏まえ、地域活性化との両輪で防災考えてゆくことを指摘されました。
3.パネルディスカッション<6月5日(水)>
コーディネーターはNHK解説委員の松本浩司さんです。昭和58年の山陰豪雨災害から30年の経過を期としたパネルディスカッションが行われました。冒頭に松本コーディネーターより、話題①として、山陰豪雨災害の災害経験者を中心に、山陰豪雨災害などの課題・教訓を抽出し、話題②において、山陰豪雨災害以降、現在までの住民・行政機関における土砂災害の被害減災に向けた取り組みを紹介するとともに、これからの島根県における土砂災害対策の在り方や方向性に関する意見交換を行ってゆく旨が示されました。
3-1.話題①『昭和58年山陰豪雨災害などの課題・教訓』
◇パネリスト
清水 美恵 氏(災害体験者 浜田市三隅町向野田地区在住)
竹内 恵南 氏(災害体験者 浜田市三隅町岡見須津地区在住)
松本 健志 氏(山陰豪雨災害時 三隅町職員)
◇コメンテーター
横田 修一郎 氏(島根大学名誉教授)
災害発生直後に島根県が制作した記録映像の一部上映に続き、清水さん、竹内さんから山陰豪雨災害時の貴重な体験を語っていただきました。
清水さんからは、防災無線の呼びかけを受けて、朝方娘さんとともに避難場所に向けて家を出たものの、激しい出水に襲われ、巡回中の人の呼びかけに応じて、指定避難場所への避難をあきらめ、町役場に命からがら避難するまでの経過の体験談が紹介されました。
竹内さんからは、周辺地域の方々と高台にあり婚家であった寺に避難していたときに目の前で、道を挟んだ場所にあった崖が崩れ、13名の方々の命が一瞬にして失われた際の詳細な状況などが紹介されました。
災害発生当時、三隅町職員であった松本さんからは、猛烈な降雨によって、徐々に役場に浸水が始まったことや、浸水によって防災無線が使用不可能となることを見越した当時の町長によって、“非常事態宣言”という言葉を使って最後の放送を行ったことなどが紹介されました。
この災害が残した教訓について、清水さんからは、洪水に流されそうになった経験を踏まえ、現在は家族が個別に必要なものをまとめた非常用持ち出し袋を用意していること、地域の地形をよく知ることなどが挙げられました。竹内さんからは、浸水を恐れ、山手に避難した方々が土砂災害の犠牲になった点を指摘されたほか、前々日の降雨によって、崩壊した崖下集落付近では黒い水がでるなどの異常現象が確認されていたことを挙げ、「普段と違う現象が起きたら、避難等の行動を起こすべき」と強く会場に訴えられました。
松本さんからは、山陰豪雨災害後に防災無線放送の設備を移設するなどした当時の三隅町の対応に加え、自身も昭和18年の土砂災害で山麓から河川傍に移住した経験があったものの、山陰豪雨災害時の土砂災害発生については予見できなかったとのコメントがありました。
横田島根大学名誉教授からは、山陰豪雨災害で土砂災害の被害が拡大した要因について、以下を挙げ、その背景として、東西に広い島根県の県土や災害発生スパンの長さなどがあるのではないかと分析されました。
・山麓に人家が広がる島根県の集落の形態
・地形や土砂災害に対する地域の認識不足
・昭和58年山陰豪雨災害以前にも、島根県内では多数の土砂災害が発生し、多くの犠牲者を出していたにも係ら
ず、これらの経験がうまく現在に継承・伝承されていなかった。
3-2.話題提供
「土砂災害防止啓発紙芝居」上映
実演者:佐藤 るみ子 氏(ピアノ・歌・語り)
砂防ボランティアの皆さん
パネルディスカッションの合間には、島根県砂防ボランティア協会が県内の小学校や幼稚園などで上演している「紙芝居」の実演が行われました。この紙芝居は、平成18年梅雨末期に県東部を襲った集中豪雨災害において、裏山が崩れ、家は潰れてしまったものの、異変にいち早く気付いた家族が間一髪で逃げおうせた事実をもとに、幼いころに体験した印象深い出来事はいつまでも心に残るとの思いを抱く砂防ボランティアのみなさんが、手作りで作成されたものです。
ピアノ演奏と挿入歌の作曲者でもある元学校教諭の佐藤るみ子さんは、島根県砂防ボランティア協会のコーディネーターとして、全国各地で砂防ボランティアのメンバーとともに、土砂災害防止啓発活動を実践されておられます。当日の上演でも、佐藤さんののびやかな歌声に乗せ、土砂災害の恐ろしさとともに、家族や命の大切さを力強く訴えました。
★島根県砂防ボランティア協会でコーディネーターをなさっている佐藤るみ子さんと島根県砂防ボランティア協会のメンバーの皆さんによる「紙芝居 大切ないのち」が披露されました。
島根県砂防ボランティア協会(島根県砂防課内)
〒690-0887 島根県松江市殿町8番地(県庁南庁舎)
TEL:0852-22-5206 FAX:0852-22-5788 sabo@pref.shimane.lg.jp
3-3.話題②『昭和58年山陰豪雨災害後の取組と今後の土砂災害減災に向けて』
◇パネリスト
永瀬 晃 氏(自主防災組織 多根の郷 会長)
浜﨑 正英 氏(島根県砂防ボランティア協会 会長)
江角 功 氏(島根県砂防課長)
横田 修一郎 氏(島根大学名誉教授)
◇コメンテーター
大野 宏之 氏(国土交通省砂防部長)
土砂災害防止法を含む近年の自然災害の被害軽減に向けた方策についての解説で始まり、江角島根県砂防課長から県内におけるハード対策の推進状況とともに、土砂災害防止法に基づく土砂災害警戒区域等の指定を島根県ではいち早く完了したことなどが紹介されました。
客席からは、雲南市防災担当者から土砂災害警戒区域内に存在する避難場所の代替施設確保や土砂災害のみならず地震やその他災害と並行して課題解決にあたる必要性について発言がありました。
住民主導による取組として、県内の自主防災組織を代表し、雲南市掛谷町多根地区の自主活動組織『多根の郷』会長の永瀬さんから自主防災の取組について紹介がされました。
防災活動に取り組むこととなった経緯や地区内の自治会単位で各戸別に避難場所を決め、マップ化していることや防災のための連絡網の作成などのきめ細かな取組を紹介するとともに、その必要性を会場に訴えかけました。また、開催直前の5月26日に開催した地域主導による総合防災訓練の様子を映像で紹介いただきました。
★地域自主組織「多根の郷(たねのさと)」の土砂災害防災訓練を紹介します。
多根の郷(多根交流センター)
〒690-2706 島根県雲南市掛合町多根418-1
TEL&FAX:0854-62-1610 tane-c@i-yume.ne.jp
◆多根の郷広報誌
全国の自主防災組織の取組の継続に課題がある中で、なぜ、「多根の郷」の活動が継続できているのかという松本コーディネーターからの問いに対して、永瀬さんは、地域で人命を失う土砂災害が発生していることに加え、東日本大震災の発生によって、地域の現在の取組が必要なものであるという認識が醸成されたと回答。島根県砂防ボランティア協会会長の浜﨑さんからは、危険個所の点検等の通常の活動に加え、若い世代を対象とする紙芝居に取り組むきっかけや印象を強くするための工夫、紙芝居と併せて開発し、小中学校における学習で活用されている地すべり模型装置などの取組が紹介されました。
こうした取組を如何に広げ、継続してゆくかを論点とした意見交換として、横田名誉教授は、地域で起きた災害教訓などを如何に広範なエリアの人々にも共感できるものとして“普遍化”してゆくことが重要であると指摘するとともに、地域の地形などについてよく知ることの重要性も併せて指摘されました。
浜﨑さんは “五感”に訴えるための工夫が重要と語りました。
江角砂防課長は、ハード対策の一層の推進を図ることに加え、その限界にも言及。県独自・砂防ボランティアとの連携によるものを併せ、年間107回開催している防災学習会のさらなる推進、防災リーダーの講習会開催とともに、砂防ボランティアに地域の声のモニタリング役としての活躍を期待するとの発言がありました。
このような地域の取組状況等を踏まえ、国土交通省大野砂防部長からは、土砂災害の減災に向けた国としての地域支援方策として、以下の4点が紹介されました。
1.土砂法に基づくイエローゾーンやレッドゾーン、避難場所やそこに至る経路などを占めすハザードマップの
作成支援
2.気象庁と協働した土砂災害警戒情報の発表と、より住民にとって分かりやすい情報提供方法等に関する検討
3.多様な監視・観測データの集約・活用(提供)
4.地域の防災の取組との協働
最後に、それぞれの課題解決に向けた意見などを求められました。
浜﨑さんは、全国の土砂災害の発生件数などを踏まえ、都市圏を含む全国で土砂災害に関する学習を小中学校のカリキュラムに組み込むことを提案。
永瀬さんは、防災活動に関する資金を住民に負担してもらう難しさを指摘。公的な資金支援とともに災害が発生してからではなく、事前に危険個所に対してハード対策を行ってほしいとの要望が出されました。
横田名誉教授は、“本当の防災の専門家は不在”という現実を指摘されたうえで、自身の主宰する「山陰防災フォーラム」を介し、経験の共有を図ってゆくこと、さらに県内の自然災害の発生要因や防災ノウハウを共有するためのデータベース構築を推進していること、その構築と活用を多数の関係機関で図ってゆくことについて提唱がありました。
江角砂防課長は、横田名誉教授から提案のあった「山陰防災フォーラム」との連携、県内自主防災組織の連携を支援してゆく意向とともに、話題①に出演した清水さんから聞いたという“昭和18年災害の際、父が「つえが抜ける」という言葉を使って土砂災害への警戒を促していたことを思い出した”という言葉から知ることとなった、地域に残る土砂災害に係る言い伝え、さらには島根県内に多数残っている災害とかかわりの深い地名などを防災学習の新しいコンテンツとして整理・提供してゆきたいとの発言がありました。
大野砂防部長からも、ハード対策の一層の推進、防災教育の推進、地名等に関する過去の研究成果等を提供したいとの声明がありました。
まとめとして、松本コーディネーターより“土砂災害減災に向けた「連携」の強化”が方向性として示され、パネルディスカッションは終了しました。
4.閉会
次回開催地が熊本県となり渡邊熊本県河川港湾局長が登壇、次回開催に向けた決意を表明されました。
閉会の挨拶は宮川島根県土木部長が行い、約4時間半にわたる【全国の集い】を閉会しました。
5.全国都道府県によるポスターセッション
島根県民会1階ホワイエにおいては、全国の都道府県砂防事業主管課による、「全国からのイチオシ土砂災害対策事例報告」をテーマにポスターセッションが開催されました。
6.模型実演
島根県民会館大ホールホワイエでは、島根県砂防課の協力のもと、島根県砂防ボランティア協会の作成した模型実験装置2種のデモンストレーションが行われました。
7.現地研修会 <6月6日(木)>
Aコース 素鵞川都市対策砂防事業
Bコース 石見銀山落石対策と素鵞川都市対策砂防事業
※Cコースは中止
翌日、6月6日(木)には、2コースに分かれて現地見学会を開催されました。
好天に恵まれ、順調に予定地を巡り、安全に研修会を終了。
<Aコース開催状況>
出雲大社周辺の環境に配慮された素鵞川都市砂防事業の解説
●隧道調査 今回は中尾ブログの3回目。平成25年4月30日の報告です。 江戸時代の隧道と思われる穴の中を覗いて、本当にトンネルになっているのか確認したかったのです。 新潟の歴史的な地すべり対策を調査されている専門家の坂井さんと、事前連絡をとって日程を決め、やっと迎えたこの日でした。
過去ブログもご覧下さい。
今回は、地元の樋口一次さん(左)と高橋徳重さん(右)が協力くださいました。 徳重(とくじゅう)さんは、若い頃から中尾川で行われた工事に携わり、状況をよく知っていらっしゃる方でした。
見極めたい隧道は川の対岸で高いところに有り、水量が多いと川が渡れず、対岸の雪の崖錐が大きすぎても、雪が消えて小さすぎても、調査は極めて困難になります。 しかし、この日はぴったり最適な現地状況でした。
樋口さんが、まず、隧道の入口側に案内してくださいました。長靴で川を渡り、雪の上を登ります。 スコップでさしている所(写真中央やや左の少し草が生えているあたり)に入口がありました。 現在の川底からは5メートル以上の高さです。
ほとんど土砂で隠されていましたが、スコップで取り除いて、中を覗きました。 確かに人が掘ったとわかる丸い壁が奥へと続き、底には土砂がたまっていることがわかりました。
今度はその下流で大きい穴になっている場所です。 雪の崖錐の先端部にうまい具合に石が乗っていて、その上にスコップを立てかけ、それを足がかりにして上がります。
この穴は隧道の途中が崩落してできたもののようで、左右両方に続いていました。 大きさは、両方とも人が腰をかがめて通れるくらいです。 上流側に向かう隧道は、底にほぼ平らに土砂がたまり、奥に光がさしているのが見えました。
下流側に続く隧道は奥で左に曲がっていて、底には水が溜まっていました。
穴になっている中央部の壁には径10cmあまりの丸い穴が、2mほどの間隔で作られていました。 掘削する時、あかりを灯していたものでしょう。当時の様子が実感として伝わります。
この隧道の出口も知りたかったのですが、埋まってしまったのか、近寄れないような場所にあるのかもしれません。
中尾川には隧道がいくつもありますが、他の隧道は現在の川底に近い高さにあります。 この隧道だけは高い位置に有り、大きな地すべりによる河道閉塞があったのではないかと想像されました。
なお、徳重さんのお話では、昭和の隧道工事はもともとあった隧道に補強を加えたもので、最初の隧道がいつ掘られたかはわからないとのことでした。 中尾地区の、自然災害を克服してきた長い歴史を、多くの方に知っていただければと思います、
●鏡ヶ池の水芭蕉
雪解けに鮮やかな緑の葉っぱと清楚な花を開いた、一番きれいな水芭蕉を見ることができました。 こちらもぴったりのタイミングでした。
●山菜
調査の途中でたくさんのみずみずしい山菜達に出会いました。 少し頂いて帰り、調理してみました。 ふきのとうの白和え(左下)・コゴミの胡麻和え(右下)・モミジガサのおひたしおかかかけ(上)。
もうひと品は、山ウドと豚肉のピリ辛炒め煮。
みんなおいしかったです。 自然はたくさんの恵みをくれるから、苦労の多い地すべり地で人のくらしがつながってきたのでしょうね。
(N)
駒ヶ根高原(長野県)で観光モニターツアーが開催されました。
主催は、駒ヶ根高原砂防フィールドミュージアム 観光ワーキンググループ。
砂防広報センターは、フィールドミュージアム活動のお手伝いをしています。
◇天竜川の支流「太田切川」
長野県伊那谷にある駒ヶ根高原(駒ヶ根市と宮田村の境)を縦断する太田切川は、中央アルプスから際限なく供給される土砂によって土石流や洪水氾濫を引き起こしてきた「暴れ川」です。
国土交通省天竜川上流河川事務所によって砂防事業が推進されています。
(二つのアルプスに挟まれた伊那谷)
この駒ヶ根高原には、太古から幾度もくり返されてきた土石流の爪跡を各地で見ることができます。
いま人々が暮らす広大なゆるい坂(土地)も、土石流と河川の氾濫の繰り返しによって形成された「土石流扇状地」でもあります。
駒ヶ根市と宮田村、そして天竜川上流河川事務所では、これらの土砂災害と人々の歴史・文化などを地域資源として位置付けて、“駒ヶ根高原砂防フィールドミュージアム”として整備しています。 また、各地に点在する豊富な地域資源と防災を結びつける役を担うボランティアガイドの養成にも力を入れています。
◇ここから本題
駒ケ根高原砂防フィールドミュージアムも平成21年7月の開館から3年目を迎えます。 これからのフィールドミュージアムの運営にあたって主要なターゲットのひとつである「観光客」の来訪動機、そして当地の新しい商品(地域資源)の価値にどれくらい満足していただけたのかを把握し、これを今後に活かすための切り口を探ろうという運びになりました。 そこで、平成24年10月、紅葉の駒ケ根高原を目当てに訪れた、フリーの観光客にツアー参加を呼び掛ける“ゲリラ的なイベント”を開催しました。 実は、この日は、紅葉が見ごろを迎える駒ヶ根高原の最盛期。 ここに、観光客がモニターツアーに参加したくなる“仕掛け”を用意しました。
(当日の手配りチラシ)
●朝8:00
紅葉狩りのためのロープウェイはすで4時間待ちの長蛇の列です。
一方その頃、、、自治体職員、地元NPOとともにイベント準備を着々と。
配布資料セットアップ
●朝9:30
そして、受付開始。紅葉狩りをあきらめた観光客が受付に殺到しました!
◇いざ、ガイドツアーにご案内です。
「砂防情報センター」のジオラマ模型や降雨体験機「あめ太郎」で当地の地形の成り立ち、そして当地の暮らしも含めてをわかりやすく解説していきます。
◇土石流のパワーは、点在する巨石で体感。
本当に水の力で巨石が流れるのでしょうか。
ガイドさんの説明で、そのメカニズムを理解します。
◇最後に、砂防施設である太田切川床固工群。
床固工とは、川の底が削られるのを防ぐ砂防技術のひとつ。
観光目的の観光客は、川の底が固めてあることに驚き、熱心に「防災」を学習します。
◇アンケートに答えて、記念品をゲット!
地元特産ジュースやボールペンなどの記念品をプレゼント。
また、学習しに遊びに来て欲しいものです。
このツアーでは、短時間のうちに、約100名の観光客に参加いただきました。
“意外な形”で、地球活動のダイナミズムや土砂災害の認識を深めたといえるでしょう。
◇参加者の反応は貴重な財産。
イベント結果を活かし、様々なガイド手法やツールを開発します。
デジタルガイドシステムは、スマホやIpad向けのGPSと連動した地図アプリ。
ガイドさんがいない時でも、地域資源の解説を見ることができます。
駒ケ根高原砂防フィールドミュージアムの取り組みは進化をつづけます。
(デジタルガイドシステムの開発)
◇欠かせない、ガイドさんの存在。
一見、わかりにくい土砂災害の痕跡なども、ガイドさんの存在が加わることによって、ほかの様々な地域資源と関連づけることが可能になり、充分な観光資源となります。
ガイドさんとの交流は、参加者には、通常の観光に「深み」が加わり、良き思い出となるでしょう。
そして、何よりも、ガイドさんの知識向上は地域防災力の向上にも繋がっている。
この企画運営に携わる関係者だって知らずのうちに防災知識が身についている。 楽しみつつ、地域を盛り上げつつ、知識を習得する新しい地域学習(防災教育)のかたちとも言えます。
以上、T/K
山古志は今頃2mを超える雪に埋もれているかと、、、住民の方たちのご苦労を思います。
この大雪前の晴天となった12月3日、長岡市山古志支所の敷地まわりで最後の雪囲いをしているところに出会いました。
枝をまとめて一本棒にくくっています。その枝に冬芽がたくさんついていました。
「縛るとき、芽も少し取れちゃうんだけどね」と係りの方はおっしゃいます。
花の蕾になる冬芽です。でも、こうしておかないと雪解けの時に引っ張られて枝が折れてしまうのです。
実際、去年の豪雪で折れてしまった木はたくさんありました。
ここの桜も手入れはしてあったのかもしれませんが無残な姿の木も多く見かけました。
でも植物のたくましさ、残った枝がちゃんと花を付け、力いっぱい咲いていました。
この桜には物語があります。
「新潟県長岡市山古志支所で 新潟県中越地震(04年10月)で消滅したと考えられていた新種の桜『八重山古志』が、園芸愛好家らの間で栽培されていたことが分かり、復興支援ボランティアの手で約4年ぶりに村に戻る。14日午後、植樹祭があり、旧村全505世帯に苗木が配られる。
八重山古志はオオヤマザクラかヤマザクラの変異とされ、濃いピンク色の花びらが12枚あるのが特徴。」(毎日新聞2008/5月)
とのこと。
今年も雪の試練に耐えて、また明るい春を告げて欲しいと思います。 N
全国好天に恵まれた11月4日(日)。
岐阜県の中津川市に出向き、中津地区災害対策協議会が主催するエクスカーションに参加してきました。
エクスカーションとは、学会などで会議の後に行われている巡検がベースとなった取組み。
地域特有の自然環境や風土などを巡る小旅行を行うもので、地域の人が説明役を務めるのがポイントです。
砂防広報センターでは平成17年ごろから、防災意識の向上と地域おこしを両輪で推進できる取組みとして、その研究や実践を国交省(事務所)・市町村などと協働で行ってきました。
ここ中津川市でもコースづくりや資料作成のお手伝いを行ってきましたが、現在はまさに地域主導のイベントとして定着しています。
3回目の開催となる今回は、
1)中山道コース
2)水神様コース
の2コースが設けられ、両コース併せて100名ほどの市民・観光客の方が参加していました。
私たちも資料作りなどをお手伝いした「水神様」コースに参加です。
中津川市の主催する中山道まつり・六斉市の開催日とも重なり、その準備で忙しい商店街を朝9:00に出発しました。
中津川市には全国的に見ても珍しいくらい、先人たちの残した「水神様」がたくさん残っており、それらの建立の背景を探りながら、この地域と土砂災害との係りを探ろうというのが「水神様」ツアー。
およそ10数名の参加者を引き連れて、先導役を務めるのは地元在住の酒井孝行さん。
中津地区災害対策協議会の事務局長でもあります。
初の見学ポイント
西宮神社内の水神様について説明する酒井さん
酒井さんは、市内各所の水神様を探し、その建立時期やその理由などについてかなり詳しく説明されるのですが、それに加え住民参加者の方々が自分なりの記憶や伝聞を紹介していただけるので、外部から来た私たちにも当時の当地の状況が想像できるようになるのが大変面白かったです。
話し合う事、みんなで情報を寄せ合うことの大切さがわかります。
市内に流れる四ッ目川という小さな川をさかのぼる形でツアーは展開しますが、登りがきつく、中津川市街が急な勾配にあることを実感します。
四ッ目川をさかのぼることおよそ20分。昭和7年8月に発生した四ッ目川災害の記念碑のポイントでは中津川南小学校4年生の木村さんが説明役を務めてくれました。
総合学習などで学んだことをまとめた説明は、とても4年生のものとは思えないほどうまくまとめられていました。当然、参加者からも大きな拍手が起きます。
行程約4キロ、時間にして2時間のエクスカーションは11時に終了となりました。
酒井さん 木村さん 大変ありがとうございました。
さて、砂防広報センターなりに今回のエクスカーションについてまとめてみます。
1.観光ツーリングとしてのブラッシュアップ
今回の参加者の大半は地域の方のようでした。これはこれでよいことなのですが、今後継続してゆくためには、ここで学んだ参加者が次の説明役となり、観光客など新しいターゲットに地域の風土・魅力を発信してゆくことが大切だと思います。
当日、JRが主催していた「さわやかウォーキング」などと連携をして、フリーの観光客に参加を呼び掛けてもよいのではないかと感じました。
2.トイレの確保
参加者の半数以上は高齢の方。おそらくどのような地域でこのようなツアーを行ってもこのような構成になってしまうのでしょう。スタート地点にトイレの案内がありましたが、中間点にもトイレなどをプロットしておくとよいかもしれません。
3.子供さんとの連携
さまざまな催事をお手伝いして感じますが、子供さんが説明役となることの効果は絶大です。参加者のためにも、説明役となる子供やその親御さんのためにもなる、このような連携は今後も継続拡大していっていただければと感じました。
(I.I)
越後妻有(えちごつまり)では「大地の芸術祭」の開催期間が過ぎましたが、
山古志木籠でも負けじと松井治二さん達が始めた独自のアート、2つ見てきました。
その1、鯉と牛の横断幕。さわやか&鮮やか。センスいいですよね!
震災復興資料館の文字も一緒に並んで、
もうすぐ震災8年です。
その2、芋川を渡るロープ(索道)。
昔は芝草や刈った稲を山の田んぼから索道で運んでいたそうです。
荷物を吊して運ぶ様子を郷見庵見学の子供たちに見せようと、地元のお仲間で設置。
対岸の高い所から郷見庵駐車場へとぬいぐるみのクマさんを飛ばすそうです。
リフトに乗るクマさん、待機中でした!
昔はお手製の滑車等の組み合わせだったそうですが、
今はこんな道具です。
山に囲まれたくらしの知恵を伝える動くアート。
きっとお話もはずむことでしょう。
学校の子供たちがたくさん来ているとのことで、山古志闘牛場へ行ってみました。
こちらお絵かきのモデルさん。
やさしい目をしているけど大きい。
すぐ下の田んぼでは稲刈りが行われていました。
道路沿いにはハサカケの稲。
山古志の秋はこれから急に深まりそうです。
9/25
8/25(土)に長野県飯島町にある与田切川(天竜川支流)公園で、フェスティバルin与田切2012が開催され、国土交通省天竜川上流河川事務所により「3Dシアター」が出展されました。
イベント会場では、川や水に親しみやすくするための子供向け体験学習等の多くの催しものが展開され、子供連れの家族が集まり活気溢れる行事となりました。 『3Dシアター』では、開催時間約5時間で延べ432名が3D映像「土石流災害に備えて(8分)」を視聴されました。
◆視聴者の感想を伺いました
・土石流が本当に飛び出してきたのかと思ってびっくりしたたけれどとても面白かった。(小学生女子)
・土石流という言葉を知らなかったが、映像を見てよくわかった。(小学生男子)
・大雨のときは気象状況をニュースで見ることは大事だと感じた。(女性)
・子供のころ土砂災害を経験したが、改めて砂防事業は必要だと思った。(男性)
飯島町 高坂宗昭町長へのインタビュー映像をご覧ください
◆飯島町 高坂町長のコメント
・このような上映の機会を得て、この地域の人たちは幸せと思う。
・土砂災害防止の啓発活動と防災事業に注力したい。
・いつやってくるかわからない災害に常に備えなければいけない。
・頭の中で描いていたとしてもなかなか動くことはできないが、このような
現実的な生々しい映像を見ることは実感がわく。
・早く逃げると言うことが命を守ることへの一歩につながると再認識させられた。
・災害の恐ろしさについて家族で話し合ってもらいたい。
◇与田切公園の情報 飯島町観光協会
http://www.iijima-kankou.org/index.php?f=&ci=10026&i=10107
◇飯島町役場
http://www.town.iijima.lg.jp/index.php?f=hp&ci=12634
◇国土交通省中部地方整備局天竜川上流河川事務所
http://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/
秋田駒ヶ岳山麓に位置する仙北市立生保内小学校では、今年5月から「ふるさとの山 秋田駒ヶ岳学習」と題し、総合的な学習の時間を活用し、7月に当ブログで紹介した防災ピクトグラムの制作など、地元の活火山秋田駒ヶ岳に関する学習に取り組んでいることを紹介してきましたが、これまで学習したことを実際に目で見て、感じてもらうため、夏休みの特別行事として8月11日(土) 秋田駒ヶ岳に登ってきました。
授業の一環としてではなく、あくまで自由参加のイベントとして実施しましたが、53名の5年生のうち、8割くらいの児童が参加しました。解説陣も秋田大学教育学部 林信太郎教授、秋田地方気象台 佐々木火山防災官、湯沢河川国道事務所秋田駒ヶ岳山系砂防出張所 櫻田所長と豪華です。(砂防広報センターからも2名参加)
生保内小学校から8合目登山口まではバスで行きます。私は、8合目までバスで行ける活火山を他には知りません。秋田駒ヶ岳への登山をたいへん楽なものにしていて、子供たちもこれまで学んできたことを楽ちんに自分の目で確認することが可能(なハズ)です。たくさんの登山客でにぎわう8合目登山口。秋田地台 佐々木火山防災官から火山監視に関するレクチャーを皮切りに、山頂を目指します。
途中、硫黄採掘現場では秋田大学 林先生指導のもと「硫黄の結晶探し」を実施。それこそダイヤの結晶でも埋まっているかのように、子供たちは硫黄の結晶探しに熱中し、結晶を見つけるたびに歓声を挙げます。このような学習を展開する場合、このような子供たち自身による「探しもん」を組み入れることの有効性をあらためて実感します。
山頂に向かう途中の休憩地点。これまでの進めてきた学習の時間と比べて、子供たちのテンションが少し低いことに気が付きました。いつもなら講師陣に対して質問攻めとなるのですが、今日はあまり質問が出ません。8合目までのバスがヘアピンカーブ続きだったことが影響したのでしょうか?
予定より、1時間以上遅れて最高峰 男女岳(おなめだけ:標高1637m)と南部カルデラの北壁 男岳(おだけ)の間に位置する阿弥陀池(あみだいけ)に到着し、予定を繰り上げ昼食をとりました。 昼食でやや息を吹き返した感のある子供たちの元気をみて、早速、林先生は「鉱物さがし」を開始、また、子供たちの目線は地面に釘付けです。
エネルギー充填後、南部カルデラ内に新たに形成された火山体であり、近年、山体温度の上昇が確認されている女岳(めだけ)を観察する為、再び歩行を開始。秋田地台さんに用意いただいた色温度を観察できるカメラで現在の山体温度を確認しました。山体温度が一目でわかるカメラ映像や深くえぐりこまれたようなカルデラ内にそびえ立つ女岳の様子に子供たちも声を上げていました。
本来なら、男岳山頂を目指す予定でしたが、天候が少し悪くなってきたことや、押し気味なスケジュールを考慮して、下山することにし、全員無事に8合目登山口まで戻り、バスで学校に戻り、特別行事を終了しました。
下山後、子供たちの反応が、今回の登山ではなぜ思いのほか乏しくなってしまったのか?を考えました。理由として「夏休み」が挙げられるのではないかとの結論に達しました。これまでの授業は学期中に行われ、火山学習前後も授業や行事が行われていて、子供たちの頭のなかや体も学ぶ体制にありました。しかし今回は、夏休み開始から2週間以上が経過した時点の特別行事であり、子供たちの頭と体は秋田駒ヶ岳から離れていたのでは?ということです。大人も3連休くらいでも仕事を休んでしまうと、なかなか切り替えが難しいという現実を考えれば、今回の様子もなんとなく合点が行きます。大人の都合で日程を決めてしまったことを少し後悔し、教育を実践するタイミングのむずかしさを痛感した今回の火山学習でした。
(Ⅰ.Ⅰ)
塩の道としても有名な小谷村(おたりむら)で、8/3(土)村内あちこちにある砂防施設の多用な工法を見学するツアーに参加してきました。
このツアーを企画したのは、小谷村観光連盟の栗田さん。
「砂防えん堤ってマニアックな印象があるけど、アートの視点からみると実は面白い。都会では見かけないし、特に小谷村の砂防施設には個性がある。これは村にとって重要な財産だと思い企画してみました。難しい話ではなくて、目で見て感じて欲しい。」という。
そもそも左右の谷にいくつもの砂防施設が建設されたのは、平成7年(1995)7月11日~12にかけて長野県北部から新潟県南西部を襲った梅雨前線豪雨によるもの。中でも被害の大きかったのが姫川流域の上流域にあたる小谷村で、大量の土砂が姫川に流れ込み、河床が約10mも上昇。多くの集落が孤立するなど、復旧まで3年の歳月がかかりました。
梅雨前線豪雨 災害体験記録集
https://www.sabopc.or.jp/20050712/record.htm
地元では姫川と両サイドの急峻な谷を「魚のホネ」に例えるそうで、まさにV字谷の村内を大きめのワゴン車で駆け巡ります。
私たち以外には2名が参加していました。翌日には6名の参加申込みが入っているとのこと。
各施設につくと、ガイドの栗田さんから工法、施工期間、費用などの簡単な説明があり、続いて各施設の“すごいところ。工夫しているところ。苦労したところ”などを施工時のエピソードを交えて解説してくれます。これらの解説には、長野県姫川砂防事務所の協力をいただいているとのこと。
グーグルアースでもしっかりと確認できるとのこと。
殆どの屋根の端っこに家紋のような謎の印がつけられている。
昼食のお弁当!(このほかにミニそばがついたが撮影の前に食べてしまった)
参加費の殆どが昼食代とバスレンタル代とのこと。おにぎりとお茶でいいのに。。
形のそろった石が積まれています。アートです!
スイッチバック走法で道なき道を進み、最後は徒歩で何か見えてきました。
しっかりと土石流をキャッチしています!気温35度!!
道の駅“小谷”!お腹がいっぱいになる「雪どけサイダー」!
なんと炭酸が通常の3倍!
浦川スーパー暗渠砂防堰堤!丸い穴は直径4m、ここがスーパー!
最後、こちら○億円の“商品”です!と、わかりやすい概要説明が続きました。
難しい説明を抜きにして純粋に砂防施設をアートの視点で楽しむこのツアーの申込者は、この日の私たちの参加が初めてとのこと。
これからも小谷村定番の観光メニューとなるよう、後方的にサポートをしていきたいと思いました。
<詳しくは>
土木アート砂防ダムめぐりツアー[小谷夏の探検ツアー]
料金 4,900円 昼食付き
(以上、T/K)
7月12日(木)、秋田県仙北市内で火山防災学習の支援を行ってきました。
秋田駒ヶ岳は、42年前(1970年)に噴火して以来、現在まで顕著な噴火活動はない比較的穏やかな活火山です。
この秋田駒ヶ岳を対象に、今年5月から「ふるさとの山 秋田駒ヶ岳学習」と題して総合的な学習の時間を活用して火山学習に取り組んでいるのが、仙北市立生保内(おぼない)小学校5年生のみなさんです。
学習も中盤に差し掛かった今回の学習メニューは、防災ピクトグラムづくり。
ピクトグラムとは駅や空港などでよく見かける、絵文字による情報伝達手法。非常口マークなどのそれです。津波防災ピクトはよく沿岸部で見かけるようになりましたが、火山は初めてでしょうか。
講師には、長野オリンピックのシンボルマークを手掛けた篠塚正典氏(写真左)、そしてアシスタントには氏と学生時代から共にデザインの仕事に携わっている岩立浩一氏(写真右)。快く引き受けていただきました。
作業に入る前に、篠塚氏から長野オリンピックのシンボルマークを考案する際にも、半年以上かけて、何度も何度も書き直して完成させたことなどのエピソードやデザインするためのコツを児童らに伝授。児童らも必死にメモをとる姿が印象的でした。
誰が見ても「何が描かれていて」「何をつたえたい」がわかるように。シンプルに「遠くから見てもわかるように」を意識して作業開始。講師も個別に指導していきます。
みんなの作業が仕上がると、全員で講評会。今回のテーマ「火砕流」「土石流」「火山灰」それぞれの特徴ある作品を選んで、改善点を指導していきます。
改善点が明確になったこの日は、ここで終了。今後、夏休みをつかって児童らが仕上げていきます。
なんと最後にはサプライズ。児童らの熱意が後押しして、最終の仕上げはプロの2名が手掛けてくれることの約束をとりつけました。
この結果は、平成24年10月18日(木)に秋田県仙北市で開催される「2012火山砂防フォーラム」において地域の人々や全国の火山防災担当者に向けて発表が予定されます。
以上、T/K