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土砂災害防災のフィールド一般の方々に、土砂災害とその対策について理解していただくこと、またその理解を通じて防災意識を醸成・維持していただくことは、簡単なことではありません。私たちが砂防の広報に携わって30年以上、これまでに培った経験と知識を多面的に活かし、様々な活動の支援や資機材の提供を行います。
砂防フィールド
コミュニティ
スタッフの取材記録などを交えつつ、土砂災害を克服してきた各地の活動紹介や情報提供を行っております。
この場を通じて新しい発見や様々な交流が生まれることができれば幸いです。
今回で4回目となる意見交換会に参加しました。
平成23年7月の新潟・福島豪雨災害で被災した鎌倉沢川上流、そこにある石積みの砂防堰堤が身を呈して下流地域を守った。
傷だらけとなった砂防堰堤を今ではわずかとなった石工さんたちを新潟県が秋田県内から招聘し復元することとなり2年を要して完成した。
国土の歴史的景観に寄与しているものとして、また文化財を活用しながら保存することを目的に、平成27年8月4日には国の登録有形文化財に堰堤群のうち大きな損傷を受けなかった8基が指定された。
今回、工事完了の暁の現地見学会が開催され、意見交換会では今後のこの文化財をどのように地域のために活用していくのかが議論された。
昭和2年に新潟県が鎌倉沢川砂防工事事務所を設置し工事が着工され昭和10年に完了した。
同県でも万内川に続く重要な砂防事業であった。
鎌倉沢川は歴史的にも価値の高い石積みの砂防堰堤群を持ち、中流域には桜ヶ丘公園として地域の憩いの場として整備され当時の床止工も遺されている。
今後、新しい登録文化財の存在を多くの方に知っていただき、地域に愛され、行政と共に維持管理、地域防災に活用される仕組みづくりが課題となるとともに期待が持たれている。
大正12年(1923年)9月1日に発生したの関東大震災による被害状況を受け、
延焼を食い止める防火帯の設置計画の一環として幅員の広い幹線道路の建設と並行して、
当時の東京市復興局公園課により防災用緑地の機能、災害時避難場所の確保、
あるいは震災復興のシンボルなどを目的として設置されたのが震災復興公園である。
その構成は、震災復興三大公園である東京の隅田公園、浜町公園、錦糸公園をはじめとして、
防火帯と避難施設の役割を持たせるために不燃化及び耐震化を図った
鉄筋コンクリートの校舎にした小学校に併設された52の小公園からなっている。
※一部ウィキペディアより引用
その第一回目としては、当センターにもほど近い日本橋小伝馬町にある十恩(じっし)公園。
この公園は52小公園のひとつで、江戸時代の伝馬町牢屋敷の跡地に設置されており、
その敷地内には、この地に収監され処刑された吉田松陰終焉の地としての記念碑等も建立されている。
中央には『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』なる松陰の辞世の句碑
日本橋石町に設置されていた『銅鐘 石町時の鐘』
この鐘が鳴るとともに松陰が処刑されたと言われる。
『忠魂碑』 『杵屋勝三郎記念碑』
その他、日露戦争の名将、野木希典の書による忠魂碑や、
長唄三味線方の名手、杵屋勝三郎記念碑等も建立されている。