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土砂災害防災のフィールド一般の方々に、土砂災害とその対策について理解していただくこと、またその理解を通じて防災意識を醸成・維持していただくことは、簡単なことではありません。私たちが砂防の広報に携わって30年以上、これまでに培った経験と知識を多面的に活かし、様々な活動の支援や資機材の提供を行います。
砂防フィールド
コミュニティ
スタッフの取材記録などを交えつつ、土砂災害を克服してきた各地の活動紹介や情報提供を行っております。
この場を通じて新しい発見や様々な交流が生まれることができれば幸いです。
平成27年12月13日に、和歌山県那智勝浦町で開催された防災講演会「平成23年台風12号で何が起きたのか!2015」~紀伊半島大水害の記録を伝えていく~」に当センターの3Dシアターが展示の目玉として活用され、講演会に参加された220名のうちたくさんの方々に好評をいただきました。
※講演会チラシPDF版はこちらから
■主 催
(公社)地盤工学会関西支部
和歌山大学防災研究教育センター
国土交通省近畿地方整備局
※詳細はこちらから
今回で4回目となる意見交換会に参加しました。
平成23年7月の新潟・福島豪雨災害で被災した鎌倉沢川上流、そこにある石積みの砂防堰堤が身を呈して下流地域を守った。
傷だらけとなった砂防堰堤を今ではわずかとなった石工さんたちを新潟県が秋田県内から招聘し復元することとなり2年を要して完成した。
国土の歴史的景観に寄与しているものとして、また文化財を活用しながら保存することを目的に、平成27年8月4日には国の登録有形文化財に堰堤群のうち大きな損傷を受けなかった8基が指定された。
今回、工事完了の暁の現地見学会が開催され、意見交換会では今後のこの文化財をどのように地域のために活用していくのかが議論された。
昭和2年に新潟県が鎌倉沢川砂防工事事務所を設置し工事が着工され昭和10年に完了した。
同県でも万内川に続く重要な砂防事業であった。
鎌倉沢川は歴史的にも価値の高い石積みの砂防堰堤群を持ち、中流域には桜ヶ丘公園として地域の憩いの場として整備され当時の床止工も遺されている。
今後、新しい登録文化財の存在を多くの方に知っていただき、地域に愛され、行政と共に維持管理、地域防災に活用される仕組みづくりが課題となるとともに期待が持たれている。
大正12年(1923年)9月1日に発生したの関東大震災による被害状況を受け、
延焼を食い止める防火帯の設置計画の一環として幅員の広い幹線道路の建設と並行して、
当時の東京市復興局公園課により防災用緑地の機能、災害時避難場所の確保、
あるいは震災復興のシンボルなどを目的として設置されたのが震災復興公園である。
その構成は、震災復興三大公園である東京の隅田公園、浜町公園、錦糸公園をはじめとして、
防火帯と避難施設の役割を持たせるために不燃化及び耐震化を図った
鉄筋コンクリートの校舎にした小学校に併設された52の小公園からなっている。
※一部ウィキペディアより引用
その第一回目としては、当センターにもほど近い日本橋小伝馬町にある十恩(じっし)公園。
この公園は52小公園のひとつで、江戸時代の伝馬町牢屋敷の跡地に設置されており、
その敷地内には、この地に収監され処刑された吉田松陰終焉の地としての記念碑等も建立されている。
中央には『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』なる松陰の辞世の句碑
日本橋石町に設置されていた『銅鐘 石町時の鐘』
この鐘が鳴るとともに松陰が処刑されたと言われる。
『忠魂碑』 『杵屋勝三郎記念碑』
その他、日露戦争の名将、野木希典の書による忠魂碑や、
長唄三味線方の名手、杵屋勝三郎記念碑等も建立されている。
主催:NPO法人中越防災フロンティア・山古志住民会議
※詳細はこちらから
展示の様子
やまこし復興交流館おらたる
※詳細はこちらから
新たに錦鯉の水槽が展示されていました。
10/25(日)、錦鯉品評会が開催されていました。この錦鯉は総合優勝作品です。
◇おまけ
木籠集落から東竹沢地すべり跡地を望む。ススキが満開でした。
帰りがけに、道の駅ゆのたに「深雪の里(みゆきのさと)」でつまみ食い。
(キノコ汁とアユの塩焼き・・・美味かな美味かな)
※詳細はこちらから
「松井治二会長 追悼牛の角突き」が平成27年10月25日(日)に
山古志闘牛場で開催されたくさんの人が訪れ松井さんを偲びました。
『木籠からの便り』より
みなさんありがとう
会長松井治二の葬儀は、木籠の自宅にて、たくさんの方々に囲まれて行われました。
山古志木籠の人々、日本各地の震災から復興を共にした方々、郷見庵での出会い、
そして闘牛会とふるさと会。松井さんが今まで何よりも大切にしてきたもの。
それを通してつながったたくさんの方々に見守られ、
送り出すことができたことに心から感謝いたします。
また、遠くからお祈りしてくださった多くの方々にも心よりお礼申し上げます。
泉田知事や長島元村長からもご挨拶をいただき、
中越震災から今まで山古志を強く思ってここまで走り抜けた松井さんを思いました。
最後はにぎやかに、山古志の盆唄に盆太鼓、
そして角突きの「よした~、よした」と大勢の掛け声で送り出すことができました。
※掲載記事はこちらから
『新潟日報』より
松井治二さん死去、惜しむ声
2004年10月の中越地震で被災した旧山古志村(長岡市)の復興の先頭に立ち、
「牛の角突き」による地域振興に情熱を傾けた山古志闘牛会会長、松井治二さん
が8月19日、75年の生涯を閉じた。訃報に接した関係者は、
気さくな人柄で親しまれた松井さんの死を悼むとともに、
「山古志の復興の原動力だった」と功績をたたえた。
※掲載記事はこちらから
『産経ニュース』より
山古志闘牛会会長の松井治二氏死去「牛の角突き」復活に尽力
松井治二氏(まつい・はるじ=山古志闘牛会会長)19日、胃がんのため死去、75歳。
自宅は新潟県長岡市山古志東竹沢丙1179の7。
通夜は22日午後7時、葬儀・告別式は23日午後0時半、自宅で。喪主は妻、キミさん。
平成16年の新潟県中越地震で大きな被害があった山古志村(現長岡市)で、
伝統行事「牛の角突き」の復活に携わり、復興に尽力。東日本大震災でも被災者を
角突きに招待するなど支援を続けた。
※掲載記事はこちらから
温帯低気圧に変わった台風18号の影響で、本日9月10日未明、
東京は葛飾区内にある我が家のすぐ脇を流れる
中川の上流は埼玉県吉川市にある水位観測所で氾濫危険水位に達し、
中川沿いの埼玉県松伏町、吉川市、三郷市、越谷市、草加市、八潮市、
東京は葛飾区、足立区の堤防の低い地域に氾濫する恐れ有りとの警報が発せられたので、
朝、そしてその後の様子を確認しに行ってみた。
いつもより水位は上がり流れも速く川の色も濁っているようだった。(07:30頃の平和橋付近)
その後、雨も小止みになったので、再び様子を見に行くと、テラスに降りるための全ての階段のゲートが施錠され、
入れないようになっていた。(11:00頃の平和橋付近)
その後、土手沿いの歩道を南下し、綾瀬川と合流点の上平井水門まで様子を見に行くと、
綾瀬川の水量も増していて、いつもに比べて川面も波立っていた。(11:15頃の上平井橋付近)
午後になると流れも幾分穏やかになり水位も大分下がっていた。(13:00頃の平和橋付近)
また、上流から流されて来た浮遊物も数多く見られた。(13:00頃の平和橋付近)
幸いにもこの辺りは、既に護岸の補強工事が完了していたので特に問題は無かったが、
まだ補強工事の成されていない上流の堤防の低い箇所では注意が必要であろう。
また、平和橋付近で出逢った地元の老人は、
昭和22年のカスリーン台風で、家を失った経験があり、
ここから少し上流の映像が、テレビのニュースで盛んに流れていたので、
心配になって様子を見に来たと言っていた。