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土砂災害防災のフィールド
ネットワークで繋がろう、広げよう

~言葉はわかりやすく、つくる輪は親しみやすく~

一般の方々に、土砂災害とその対策について理解していただくこと、またその理解を通じて防災意識を醸成・維持していただくことは、簡単なことではありません。私たちが砂防の広報に携わって30年以上、これまでに培った経験と知識を多面的に活かし、様々な活動の支援や資機材の提供を行います。

砂防フィールド
コミュニティ

スタッフの取材記録などを交えつつ、土砂災害を克服してきた各地の活動紹介や情報提供を行っております。
この場を通じて新しい発見や様々な交流が生まれることができれば幸いです。

「雑記帳 」

金刀比羅宮 (慈愛地蔵尊)

当センター事務所のあるビルを出て右に行くと、すぐに清洲橋通りに出るが、
その清洲橋通りを挟んだ斜向かいに、少しばかりおどけたような表情の狛犬がいる
金刀比羅宮 (慈愛地蔵尊)なる小さな神社が鎮座する。

 

その境内に建てられた記念碑によると当地は、このあたりの町名が示すように、
江戸時代は隅田川の浮洲(中洲)で、明治初年に埋め立てられて、
現在の場所に船玉琴平宮が祀られ、産業振興の神として広く崇められたとのことである。

しかし、大正12年の関東大震災によって鳥有に帰したものの、湯浅勘次郎氏の夢枕が機縁となり、
四国琴平宮の御霊を遷座奉祀し広く繁栄の守護神として茲に神殿を建立し、現在の形になったのだそうだ。

また同境内には、千羽鶴が奉納されている慈愛地蔵尊が祀られており、その由来については特に説明がないが、
当地は江戸時代、江戸随一の納涼観月の名所であり、その中洲には歓楽街が造成されていたということで、
この周辺には遊郭も多かったろうし、現在の石柱に『葭町芸妓組合』なる名も彫られていることからも、
あくまでも私的見解ではあるが、この慈愛地蔵は遊女や芸妓等の哀しい想いを受け止めていたのではないかなどと、
推測したりもしている。(苦笑)