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土砂災害防災のフィールド一般の方々に、土砂災害とその対策について理解していただくこと、またその理解を通じて防災意識を醸成・維持していただくことは、簡単なことではありません。私たちが砂防の広報に携わって30年以上、これまでに培った経験と知識を多面的に活かし、様々な活動の支援や資機材の提供を行います。
砂防フィールド
コミュニティ
スタッフの取材記録などを交えつつ、土砂災害を克服してきた各地の活動紹介や情報提供を行っております。
この場を通じて新しい発見や様々な交流が生まれることができれば幸いです。
●隧道調査 今回は中尾ブログの3回目。平成25年4月30日の報告です。 江戸時代の隧道と思われる穴の中を覗いて、本当にトンネルになっているのか確認したかったのです。 新潟の歴史的な地すべり対策を調査されている専門家の坂井さんと、事前連絡をとって日程を決め、やっと迎えたこの日でした。
過去ブログもご覧下さい。
今回は、地元の樋口一次さん(左)と高橋徳重さん(右)が協力くださいました。 徳重(とくじゅう)さんは、若い頃から中尾川で行われた工事に携わり、状況をよく知っていらっしゃる方でした。
見極めたい隧道は川の対岸で高いところに有り、水量が多いと川が渡れず、対岸の雪の崖錐が大きすぎても、雪が消えて小さすぎても、調査は極めて困難になります。 しかし、この日はぴったり最適な現地状況でした。
樋口さんが、まず、隧道の入口側に案内してくださいました。長靴で川を渡り、雪の上を登ります。 スコップでさしている所(写真中央やや左の少し草が生えているあたり)に入口がありました。 現在の川底からは5メートル以上の高さです。
ほとんど土砂で隠されていましたが、スコップで取り除いて、中を覗きました。 確かに人が掘ったとわかる丸い壁が奥へと続き、底には土砂がたまっていることがわかりました。
今度はその下流で大きい穴になっている場所です。 雪の崖錐の先端部にうまい具合に石が乗っていて、その上にスコップを立てかけ、それを足がかりにして上がります。
この穴は隧道の途中が崩落してできたもののようで、左右両方に続いていました。 大きさは、両方とも人が腰をかがめて通れるくらいです。 上流側に向かう隧道は、底にほぼ平らに土砂がたまり、奥に光がさしているのが見えました。
下流側に続く隧道は奥で左に曲がっていて、底には水が溜まっていました。
穴になっている中央部の壁には径10cmあまりの丸い穴が、2mほどの間隔で作られていました。 掘削する時、あかりを灯していたものでしょう。当時の様子が実感として伝わります。
この隧道の出口も知りたかったのですが、埋まってしまったのか、近寄れないような場所にあるのかもしれません。
中尾川には隧道がいくつもありますが、他の隧道は現在の川底に近い高さにあります。 この隧道だけは高い位置に有り、大きな地すべりによる河道閉塞があったのではないかと想像されました。
なお、徳重さんのお話では、昭和の隧道工事はもともとあった隧道に補強を加えたもので、最初の隧道がいつ掘られたかはわからないとのことでした。 中尾地区の、自然災害を克服してきた長い歴史を、多くの方に知っていただければと思います、
●鏡ヶ池の水芭蕉
雪解けに鮮やかな緑の葉っぱと清楚な花を開いた、一番きれいな水芭蕉を見ることができました。 こちらもぴったりのタイミングでした。
●山菜
調査の途中でたくさんのみずみずしい山菜達に出会いました。 少し頂いて帰り、調理してみました。 ふきのとうの白和え(左下)・コゴミの胡麻和え(右下)・モミジガサのおひたしおかかかけ(上)。
もうひと品は、山ウドと豚肉のピリ辛炒め煮。
みんなおいしかったです。 自然はたくさんの恵みをくれるから、苦労の多い地すべり地で人のくらしがつながってきたのでしょうね。
(N)