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土砂災害防災のフィールド一般の方々に、土砂災害とその対策について理解していただくこと、またその理解を通じて防災意識を醸成・維持していただくことは、簡単なことではありません。私たちが砂防の広報に携わって30年以上、これまでに培った経験と知識を多面的に活かし、様々な活動の支援や資機材の提供を行います。
砂防フィールド
コミュニティ
スタッフの取材記録などを交えつつ、土砂災害を克服してきた各地の活動紹介や情報提供を行っております。
この場を通じて新しい発見や様々な交流が生まれることができれば幸いです。
平成24年6月2~3日、緑のまぶしい福井県南越前町で開かれた「田倉川と暮らしの会」15周年イベントに参加してきました。砂防マンの間では「アカタン砂防」を見ないと福井に来たことにならない、と言われるそうです。
2日の土曜日の全プログラム、アカタン砂防ハイクと記念集会(講演会と意見交換)・交流会に参加しました。3日の日曜には2グループに分かれて高倉(こうくら)谷川砂防ハイクと砂防施設の草刈り・整備作業が並行して行われ、砂防ハイクに参加しました。
◆アカタン砂防ハイク
現地を案内説明してくださったのは語り部で旧地区の最後の区長であるゴンパ(権八 実)さんです。
◎9号堰堤
最下流の、土でできた砂防堰堤です。
「明治の豪雨で大平(おおびら)が崩れたとき、この谷の裏側の大鶴目谷では60戸が被災し、15人が亡くなった。
アカタンでは崩れた土砂は一旦止まった。炭を焼いている人が上を見に行った時、ゴウゴウと土砂が出てくる音が聞こえ、急いで山伝いに帰った。雨が上がってから土砂はゆっくりと出た。古木集落では木を切って水はねを造り、夜中も炊き出しをしながら守った。土砂は谷を埋めて止まった。20万立方mという膨大な量で、二次災害の危険があったため、福井県の1期工事に入れられた。」と。
ゴンパさんが子供の頃は写真の田んぼの場所は池だったとのことです。(上流からの写真で、田んぼの先に横一文字に見えているのが9号堰堤。)
◎8号堰堤
流域最大の砂防堰堤で、土で造られ、長さは100m以上。水は左岸側(写真の奥)を流れるようになっています。人が歩いているところが堰堤で、発見当時は全体にたくさんの木が生えていて、取り除くときに、1本だけ残した木が写真の真ん中の木だそうです。下の段は昭和30年頃に追加されたとのことでした。
堰堤天端までは間伐材チップの散策路や手作りの橋、階段などが整備されていました。
◎奥の東堰堤(7号)
石積みの砂防堰堤としては最下流にあり、上部(天端)が曲線になっているのが特徴です。使っている石は流れてきた現場の石で、水通しは岩盤のある右岸側に造られています。表面だけでなく堤体内部もガラ石でできていて、大水の時には水が通る構造になっているとのことでした。
◎松ヶ端(まつがはな)堰堤(6号)
アカタンの石積み堰堤の中で一番大きな石が使われている見応えのある堰堤です。脇には階段が整備されていますが、石積みを登る人もいました。
◎大平中堰堤
谷の合流部にあり、山が迫った複雑な地形です。左岸側に岩盤があり、右岸側に石積みで堰堤を造り、水が岩盤の上を流れるようにしてあります。
下の写真は石積み部分の上に乗ったところです。時間の都合、残念ながら今回のハイクはここまでで折り返しとなりました。
◆高倉谷川砂防ハイク
翌朝もさわやかな晴天に恵まれ、開会挨拶です。
南越前町役場職員の方々や砂防ボランティアさん達は草刈りの準備をして集合していました。
高倉谷川は瀬戸集落のみなさんが「高倉谷川砂防堰堤の会」をつくって発掘や整備をしています。会の伊藤武夫さんが案内と説明をして下さいました。
「もとは草茫々だった。探すと石積み堰堤はいくら行っても続いていた。アブのいない時期を選んで、一人でぼちぼち整備を始めた。平成17年度に会員を募り、会を立ち上げた。12人が会員になった。」とのこと。
高倉谷川流域の砂防施設については、いただいた資料に詳しく書かれていますので、ご覧下さい。
◇高倉谷の石積み砂防資料
https://www.sabopc.or.jp/blogimage/takakuratani01.pdf
◎西高倉1号砂防堰堤
自然の地形を利用し、2m近くの巨礫を積み上げた、荘厳な感じを受ける砂防堰堤です。アカタンにはない記念碑が高倉谷川流域の2個所に残っていますが、その1つがこの堰堤の左袖の上にあります。
◎谷中(たんなか)堰堤
林道から見やすい位置にありました。
上部で水みちを3本に分けてあり、自然の滝のようです。
◎大成口堰堤
豪雪で倒れた木がおい被さって、自然の荒々しさを見せていました。
◎立成1号堰堤
庭園のような流れを演出してあります。自然の理に叶った設計なのでしょうが、どのようにして造られたのか、不思議です。
◎立成2号堰堤
ここにはもう一つの記念碑がありました。
高倉川流域には12基の石積み堰堤があるとのことですが、今回のハイクはここまでとなりました。
明治時代の知恵と技術の高さに圧倒される砂防ハイクでした。
◆イベントを終えて-村人が宝物-
イベント企画者の環境文化研究所の田中保士さんは言います。
「限界集落と言われているが、村人は大切な山を保全している水源集落だと誇りを持っている。さまざまな体験から生きる技をたくさん身につけている。訪れる人は村人に魅力を感じ、山村への関心を高める。村人は歴史的砂防施設とともに、かけがえのない貴い資源」と。
晴れ晴れした表情で地域を語る地元のみなさんの熱い心に接し、元気をいただいて、「この人達こそ地域を越えて日本の宝物だ」と実感しました。
皆さん、どうぞいつまでもお元気で地域自慢を続けてください。